2016年12月30日金曜日

神戸の温泉を巡ろう!!

三宮駅の西側、神戸サウナビル南東側にある「神乃湯」という無料の足湯です。

 神戸の温泉ってあまり馴染みがないし、温泉があるイメージがないと思います。しかし意外と神戸には温泉がたくさんあるということを知っていますか?ということで、今回は神戸にある温泉を巡っていきましょう。

フルーツフラワーパークに温泉発見! 

 神戸市フルーツフラワーパークというフルーツや花などの園芸作物や、酪農などのテーマパーク内にある宿泊施設「ホテルフルーツ&フラワー」にあるのは、大沢温泉です。ホテルの建物がオランダの帝国美術館がモデルになっていて、大浴場は古代ローマ風を思わせる欧風の造りのバーデハウスになっています。浴室も外光を上手く取り入れ、アーチや円柱を配した明るい雰囲気になっています。内湯は近くの名湯・有馬温泉同様鉄分を含む茶褐色の濁り湯なので、効能も豊かで、温泉目的の日帰りの利用客も多いそうです。男女別の露天風呂をはじめ、寝湯、打たせ湯、ジェットバス、サウナなど、さまざまな入浴設備が整っています。

「神戸 ホテル フルーツ・フラワー」
〒651-1522  兵庫県神戸市北区大沢町上大沢2150
大人(中学生以上):700円(税込)
小人(小学生):400円(税込)
幼児:無料(保護者同伴)
   幼児(3歳~小学生未満)の団体様10名以上でご利用の場合は有料200円

小鹿から名づけられた温泉

 傷ついた小鹿が小川のほとりに沸く泉で傷を癒したことから発見されたのは鹿之子温泉です。鹿の子台の住宅街に近い立地で、明治時代から続いた一軒宿の温泉として知られていたようです。現在は隣接する立ち寄り湯「鹿之子温泉・かのこの湯」が泉源を引き継いでいて、旅館としての営業は行ってないようです。年中無休で深夜まで利用できるので、地元客から遠来の温泉ファンまで幅広く親しまれている温泉です。内湯は硫黄泉なので、ヌメリ感のある湯でツルツルの肌を実感できるようです。露天風呂、サウナ、打たせ湯、ジェットバス、エステバス、ローリングバスなど、入浴設備も充実しています。

「鹿之子温泉」
〒651-1511  兵庫県神戸市北区長尾町宅原1611
大人(中学生以上):600円(税込)
子供(小学生):300円(税込)
幼児(小学生未満):無料

須磨の池畔に沸く温泉

 山の端に須磨寺の塔を望む夕涼み向きの水辺である須磨大池畔に沸いているのは、須磨温泉です。須磨温泉は「寿楼臨水亭」と「ホテル・エンメイ」の二軒の旅館が引いている温泉です。年中無休で6時から24時まで入浴できるので、近くに須磨寺があるので、須磨寺への参拝者などにも好評だそうです。

「寿楼臨水亭」
〒654-0071  兵庫県神戸市須磨区須磨寺町3-5-18
宿泊料金とは別に入湯税別途150円かかります。
「ホテル・エンメイ」
〒654-0071 兵庫県神戸市須磨区須磨寺3-3-30
料金:800円(60歳以上 500円)

しあわせの村にも温泉が!

 西神戸内陸部の広大な丘陵地にある、さまざまなスポーツ・レクリエーション施設や宿泊施設があるしあわせの村にも、温泉健康センターという温泉施設があります。円盤状の外見が印象的な建物になっていて、内部は広々としたドーム空間を南洋植物の緑が彩るジャングルジム風呂になっています。圧注浴、気泡浴、打たせ湯、寝湯、スチームバス、サウナなど10種類もの入浴設備が揃っています。さらに、折り重ねた枝から霧状に温泉成分が降り注ぐ、吸入浴に適した枝条架浴設備まであります。バリアフリーにも配慮されており、多くの人がこの温泉健康センターに訪れます。

「しあわせの村 温泉健康センター」
〒651-1102 神戸市北区山田町下谷上字中一里山14-1
□高齢者・障がい者 
大人:400円(税込)
小学生・中学生:200円(税込)
□一般
大人:800円(税込)
小学生・中学生:400円(税込)

神戸唯一の国宝建築物にある温泉

 太山寺の門前の伊川河畔に沸いている、天然ラジウム温泉太山寺「なでしこの湯」という温泉があります。この施設は以前、ラジウム温泉太山寺、保養センター太山寺の名で親しまれていた人気施設でした。そのため、名前が変わった現在でも、泉質や効能に定評があり、人気のある施設になっています。立ち寄り湯の温泉棟と宿泊棟があり、どちらの棟でも温泉が利用できるようです。温泉棟の大浴場には洋風と和風の浴場があり、ゆったりとした造りになっています。男湯、女湯は月替わりなのでどちらも体験でき、気泡風呂、打たせ湯、ジェット風呂、ミストサウナなど入浴設備も充実しています。

天然ラジウム温泉太山寺「なでしこの湯」
〒651-2108 兵庫県神戸市西区伊川谷町前開270-1
大人: 600円(税込)
3歳~小学生: 300円(税込)
高齢者・障害者: 500円(税込)
※土日祝は大人、子供100円UP、高齢者・障害者50円UP

神戸の街にある温泉


 神戸市街地の温泉利用施設は、銭湯タイプのものが多いと言われています。なぜかというと、震災で被害を受けた地域のお風呂屋さんが、再建の過程で温泉を掘削した例が多いからだそうです。最新の入浴施設の導入や営業時間延長など、地域の「温泉」として懸命に地域の再生に取り組んでいるようです。ではどんな利用施設があるのか、地域別に見ていきたいと思います。

~東神戸~
東神戸には地元で70年の歴史をもつ銭湯が震災後に温泉を掘削して、温泉利用施設として再建した備後町にある灘温泉六甲道店があります。

~三ノ宮・元町周辺~
三ノ宮・元町には24時間営業の温泉浴場に個室カプセルを併設した都心型温泉の神戸クアハウスがあります。駅から徒歩圏内にあるので、ビジネスマンにも親しまれています。また、生田神社に近い三宮の繁華街にある神戸サウナ&スパも神戸クアハウス同様、駅から近いので、ビジネスマンの利用が多いようです。最近では神戸のハーバーランドにある万葉倶楽部という温泉施設や神戸のいたるところに足湯などもあります。

~兵庫・長田~
神戸街から有馬へ至る有馬街道の谷口に「平野の祇園さん」と親しまれる祇園神社があり、その谷から流れる天王谷川沿いに天王温泉と湊川温泉の二軒の温泉が川を隔てて建っています。この二軒の温泉は平清盛の福原京時代から知られ、地元の人や早朝登山のハイカーにも親しまれてきた立ち寄り湯です。

~西神戸~
西神戸にはスーパー銭湯の老舗的存在である名谷天然温泉柚耶の里があります。露天風呂や塩サウナ、マッサージバスなどがあるロイヤルコーナーがあり、多種多様な入浴設備が楽しめるようになっています。

最後に

 コスモポリタンでおしゃれなまち神戸に温泉なんて似合わないと思っていましたが、なかなかどうして、このように温泉や温泉施設がたくさんあるということを知り、新しい発見をしました。
 銭湯が多いというのは私も以前から思っていたので、なぜ神戸には銭湯が多いのかということも知ることができ、神戸についても知ることが出来ました。おそるべし!神戸!!

参考文献
・「ひょうごの温泉 湯めぐりと観光ガイド」 
著者:福岡宏一 出版社:神戸新聞総合出版センター
・「新版 ひょうごの温泉 立ち寄り湯と観光ガイド」
 著者:福岡宏一 出版社:神戸新聞総合出版センター

取材:田底愛菜

愛情いっぱい!株式会社ファミリア

朝ドラ「べっぴんさん」のモデルになった子供服メーカー「ファミリア」。モダンで上品、そして安くないところが、さすが神戸!ということでファミリアについて調べました。
 
元町商店街の中にあるファミリア神戸元町本店

 株式会社ファミリア(Familiar Limited.)は、兵庫県神戸市中央区に本社を置く、子供服を中心とするアパレルメーカーです。創業から一貫して子供服・子供向け用品・ベビー用品の取り扱いを専業としています。全国各地の百貨店内にショールームを展開しており、ちょっと高いけど質のいい子供服メーカーとして知る人ぞ知る存在でした。

ファミリアの知られざる歴史
 ファミリアが創業されたのは1948年12月、戦後の混乱期です。「すべては子どものために」という強い信念のもとに坂野惇子をはじめとする、4人の女性の創業者によって創立されました。戦後の混乱の中で、庶民の生活にはゆとりなどなく、誰もが今日を生きるのに必死だったので、この創業者4人も収入を得るために働くことを決意しました。
 そして「モトヤ靴店」の店舗内に、2台の陳列ケースを並べただけの小さなお店、「ベビーショップ・モトヤ」という名前でスタートしました。場所は神戸の中心地、トアロードの角からセンター街に入ってすぐのお店でした。

 ファミリアの誕生
 忙しくも充実した生活を送っていた4人の女性たちは、周囲の指導を受けながら、商売の基本を会得していきました。1年後には独立店舗にステップアップし、その後も様々な好条件が重なり、1950年4月12日、「ベビーショップ・モトヤ」は発展的に解消、「株式会社ファミリア」が南隣の角地にある物件で誕生しました。“全国のお母さんたちから本当に愛されるベビー用品のパイオニアになろう”と、フランス語で家族という意味からファミリアという社名に決まりました。

こだわりだらけのものづくり
 本当にいいものだけを作りたい、お母さんの気持ちになってものづくりをする、という創業者たちの精神は今もなお受け継がれています。
ファミリアの原点でもある肌着一つをとってもたくさんの工夫やこだわりが詰まっているので、HPにも乗っているものを紹介します。
 
肌着の生地  
横方向の伸縮性があり、肌に優しく洗濯に強い生地を採用しているので繰り返し洗濯をしても型崩れせず、安心です。

ゆっくり編みたてる肌着
スピード生産ではなく小さい編み機でゆっくり編みたてられ、縫い目のない一枚の生地で仕上げることが出来るので、脇に縫い目があたらず、あかちゃんの肌に安全です。ゆっくり編み上げることで、やわらかで肌触りの良い生地ができます。

ファミリアクオリティーを守る
 ファミリアでは編み上げるのに、実際に市販されているものの約6倍時間がかかるといわれています。生地の作り方や、ひとつひとつ手作業で行う縫製やプリントなど、少しアナログな生産方法にも思われますが、時代に逆らってでも変わらないことを吟味し、今でもファミリアクオリティーを守っています。

ファミリアの愛情を受けて
 今回調べてみるといろんな物語を経て創業された会社であるということがわかりました。また、たくさんの人に今もなお愛されているのには、徹底したものづくりの精神や時代にとらわれない経営方針など、多くの理由がありますが、なにより子どもへの愛情が最も大切にされているからこそなのだと知りました。 

参考 
https://www.familiar.co.jp
ダイヤモンド社 上品な上質「ファミリアの考えるものづくり」
取材:小松原 愛理

神戸ルミナリエと阪神淡路大震災(2016/12/20)

 毎年、師走の神戸を飾る風物詩「ルミナリエ」。それが始まったきっかけ淡路島から阪神間一体を襲った阪神淡路大震災だった。私が生まれる前、この地を襲った大震災について調べた。


1995年1月17日、直下型地震が神戸を襲った

1995年1月17日5時46分52秒、兵庫県南部は大きな地震に襲われた。震源地は淡路島北部〈北緯34.6度、東経135度〉、震源の深さは14キロメートル。最大震度7(観測史上初)だった。横揺れと縦揺れが同時に発生。余震回数は延べ2135回(1月17日~7月10日)。
この地震は、「平成7年(1995)年兵庫県南部地震」(M7.2)と命名された。
 死者6,308名。戦後最大の都市型災害だった。亡くなった方の多くの原因は窒息と圧死だった。全壊建物は、100,209棟、家屋などの被害も甚大だった。
 

引き裂かれたライフライン

阪神・淡路大震災では、水道やガス、電気などのライフラインが被害を受け、町はその機能を失った。復旧に要した時間は、水道が90日、ガスが83日、電気が7日、電話が6日です。水道やガスは地中に配管が埋まっているため復旧に時間がかかったのだ。
 道路も寸断された。阪神高速が受けた被害はとほうもないものだった。橋桁や橋脚が635メートルにわたって横倒しされ、復旧に622日を要した。鉄道も29路線が不通となった。


そしてルミナリエ


2016年、今年で22回目を迎えるルミナリエは、毎年、神戸の師走を飾る風物詩として定着している。「阪神淡路大震災犠牲者の鎮魂」と「都市の復興再生」がテーマになっていいるのだ。


私は幼いころからルミナリエに来ている。ルミナリエには年の瀬を飾る祝祭イベントではない厳粛な気持ちになるのはなぜか。それは、あの震災でいろいろな痛手を負いながら、懸命に生きてこられ、今、なんとか復興をとげつつある神戸の人々が、亡くなられた人々に向けて、祈りをささげる日だからだ。




(しあわせ運べるように)


「しあわせ運べるように」は神戸市に住んでいる人たちなら絶対と言ってもいいほど有名な、20年以上歌い継がれてきた名曲だ。作詞・作曲をされたのは、神戸市の小学校の音楽教師である臼井真さん。震災以降、神戸では、震災慰霊式典はもちろん、ルミナリエお点灯式やイベントなどでずっとこの歌が歌い継がれている。 


しあわせ運べるように
作詞・作曲 臼井 真

「地震にも負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
支えあう心と明日への 希望を胸に
響き渡れぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように

地震にも負けない 強い絆をつくり
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう

傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
やさしい春の光のような 未来を夢み
響き渡れぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように
届けた私たちの歌 しあわせ運べるように」





参考文献
・阪神・淡路大震災 都市直下型地震と地質環境特性-東海大学出版会 日本地質学会 環境地質研究委員会編
・阪神・淡路大震災誌-1995年兵庫県南部地震1996/2朝日新聞大阪本社「阪神・淡路大震災誌」編集委員会


取材:仮谷智乃

神戸港、いまむかし(2016/12/30)


神戸市役所展望ロビー(神戸市役所1号館24F)から山側を眺める


ローマも神戸も1日にしてならず。みなと神戸の歴史は平清盛の時代からはじまり、開港した150年まえからも、いろんな出来事をへて今の神戸になったのだ。神戸の歴史的なできごとといえば、第二次世界大戦における空襲や、近年では、阪神淡路大震災が記憶に新しい。そういう出来事に隠れた神戸の歴史を取り上げてみた。

村だった神戸


 今から150年前。今、神戸港の中心となっているメリケン波止場あたりは神戸村とよばれる村だった。その西側に位置する兵庫港は、平清盛の時代から港として栄えていた。神戸港誕生とともに国際貿易が盛んになり港が発展する中、「神戸港」という名称が定着。フラワーロードの南端から和田岬までの港全体が神戸港と呼ばれるようになった。

付け替えられたふたつの川

神戸の中心地にある湊川と生田川は、新湊川・新生田川と呼ばれることがある。なぜ「新」なのか。それはふたつの川が付け替えられたことに由来する。つまり別のところを流れていたものを工事をおこなってわざわざ別のところに流れるようにしたのである。
 もともと兵庫区を流れていた湊川は1901年現在の長田区に、そして、フラワーロードの場所に流れていた生田川は1871年、西側の新神戸駅から南に流れる現在の場所へ付け替えられた。
もともと神戸の街中を流れていたふたつの川がなぜ付け替えられたのだろうか。
 湊川も生田川も、砂礫の堆積により川底が周辺の平面地よりも高くなった天井川(てんじょうがわ)であった。通常の川であれば橋をかけさえすれば行き来はできるが、天井川は簡単ではない。また、天井川であることによって、度重なる水害がもたらされたのだ。
 このように川の付け替えは、神戸の発展に必要不可欠であったが、付け替え先の住民は土地が取り上げられると反発し、地下水脈の断絶を恐れる農民の抵抗にもあいながらも、なんとか川は付け替えられ、現在の神戸の街の姿になったのだ。

コンテナが変えた港の風情

神戸港に現存する最古の信号所建造物である旧神戸港信号所[高浜岸壁南端]


昭和30~40年の神戸港は、港は働く人であふれ活気があふれていた。
ところが、昭和40年以降になると、コンテナ船が登場し、港のあり方が大きく変化した。とは鉄道やトラック、専用の船や飛行機での貨物輸送に用いる軽金属製の大型の箱であるコンテナを専用に扱う貨物船のことだ。コンテナ運送が登場したことによって、雑貨などの貨物を個々に荷造りする必要がなくなり、貨物を積んだり降ろしたりする荷役という仕事が激減。沖荷役は減り艀も姿を消していった。荷役形態が変わったことによってコンテナ船は夜遅くに入港し、翌朝早くに港を出港するようになった。
 コンテナ船が登場する前、荷物の上げ下ろしは人海戦術だ。それが終わるまで数日はかかったのだろう。その間、船乗りたちを相手に商売する「外国人バー」と呼ばれるお店で港界隈で賑わっていた。そういう賑わいはコンテナ運輸が一般化するなかで廃れていった。
 今年は神戸港開港150年ということで、旧居留地が賑やかだ。しかし、この界隈の歴史を紐解いてみれば、神戸港の西側の兵庫港は古くから貿易港として栄えた歴史があり、また、戦後から高度経済成長期にかかろうとするころの神戸港の雰囲気は、どちらかといえば人気のない今の港の雰囲気とはいささか異なったものであったようだ。

取材:山下幸希