2017年3月6日月曜日

森本倉庫の倉庫に迫る!




「神戸開港150年記念事業のパートナー企業」である森本倉庫株式会社に「みなと神戸広報応援団」が取材に行ってきました。
 1870年創業から神戸港の発展とともに歩んできた森本倉庫株式会社の二本柱は倉庫業とビル事業。中でも倉庫業は社名が示す通り、会社のルーツとなる仕事です。



倉庫業務の取り組み

神戸・西宮に6つの倉庫を持つ森本倉庫。会社案内で「お客様の大切な商品を責任もって通関・保管・輸送する総合物流業」と銘打たれているように、預かった品物を倉庫に保管するだけの仕事ではないのだ。倉庫というスペースを用いてものを保管するという業務の前工程や後工程には、例えば船へ荷物を上げ降ろしする荷役(にやく)をはじめ、通関から輸送・配送・流通加工などいろいろな仕事がある。森本倉庫は倉庫を核に物流全般を総合的に取り扱っているのだ。

全自動定温湿倉庫 http://www.morimoto-soko.co.jp/
 
一言で倉庫といっても森本倉庫にはいろいろな倉庫がある。まず温度や湿度という点から見ればどういう倉庫があるのだろうか。
 保管する温度の種別では、温度管理を行わない一般的な貨物を保管する普通倉庫、10℃~20℃で、食品、飲料や温度管理を必要とする貨物を保管する定温倉庫、定温倉庫よりもさらに低い5℃~マイナス40℃での保管や冷凍商品を保管するのに適する冷蔵倉庫がある。さらに「全自動定温湿倉庫」といって、全自動管理制御システムにより、お客様のニーズに合わせた温湿度管理を各倉庫単位で行える設備と機能を有したハイテクな倉庫もある。「温度」ではなく「温湿」、つまり温度とともに湿度も管理するということだが実際にはどうやっているのだろう。
「外の湿度が変わると中の物にも影響するので、湿度が低ければ霧で調整をし、湿度が高ければ乾燥機を使って乾燥させますね」という答えがかえってきた。

 
フードディフェンス

今回、いろいろと興味深いお話を伺ったので、特に印象に残ったお話をふたつ紹介しよう。
 まず匂いの話だ。話をお聞きして驚いたことは、保管をするときに匂いに注意を払っているということだった。例えば紙類は匂いを吸収しやすいから、匂いが強いものの隣に置いてしまうと、匂いがうつることがある。そういう場合は別の倉庫に保管するのだ。
 次にフードディフェンスの話。ディフェンスとは「防御」。原料調達から販売までのすべての段階において、人為的に毒物などが混入されることのないように管理するのがフードディフェンスだ。フードディフェンスには「不審者を入れない」「監視する・死角を作らない」「私物を持ち込ませない」というポイントがある。

 ひとことで倉庫といってもそれをビジネスにするならば、一般人が想像できない部分で厳しく管理されていることがわかった。私たちはいろいろなものに囲まれて、あって当たり前、安全で当たり前のように、いや、そんなことすら意識せずに生きている。さまざまな会社やひとびとの安全・安心に対する飽くなき取り組みがあり、そういった人々のおかげで私たちの暮らしがある。そういうことを知ることができた貴重な取材だった。


取材:山根創太
取材協力:森本倉庫株式会社

2017年3月3日金曜日

森本倉庫のビル探検

「神戸開港150年記念事業のパートナー企業」である森本倉庫株式会社に「みなと神戸広報応援団」が取材に行ってきました。森本倉庫の2本柱のひとつ、ビル事業のレポートです。


三宮グランドビル竣工年:1995年 所在地:神戸市中央区磯上通2-2-21(三宮から歩いて約10分)

高さ:11階 延べ床面積:35,751.97㎡

 倉庫業からはじめられた森本倉庫がビル事業に進出したのは、今から約半世紀ほど前の昭和40年でした。その後、神戸の発展とともに成長し、三宮駅前の一等地に8棟のオフィスビルを展開されています。三宮のミント神戸から県道21号線を隔てた南側にある「三宮ビル北館」にオフィスを構える外資系企業大手P&Gジャパンをはじめ、優良企業が森本倉庫のオフィスビルに入居されています。
 今回は、「ゆとり・潤い・快適」をコンセプトとされている森本倉庫のビルのひとつ、「三宮グランドビル」におじゃましました。


ゆとりのオフィス空間(三宮グランドビル)


 

 オフィスビルというと、空調がしっかり効いたムダのない空間というイメージがします。そんな先入観はビルに入った瞬間、消えてなくなります。 
 1階から最上階の11階まで吹き抜けになっている館内。実際に使用されていたヨットの展示、船首を思わせるテラス席も…。森本倉庫のルーツである神戸港の海をモチーフにされたのでしょう。 


 森本倉庫のビルで驚いたのは、「ゆとり・潤い・快適」を感じさせる空間演出だけではありません。最新の三宮ビル北館では、停電やハプニングがあった時の非常電源は24時間持つそうです。
 また、国土交通省が主導して作られた建築物の環境性能評価システムであるCASBEE (キャスビー、建築環境総合性能評価システム)ではSランクと最上位。さらに、環境に優しい建物であるかどうかを評価する「DBJグリーンビルディング認証」ではゴールドを認証されています。これは、単純な「経済性」だけではなく、「環境・社会への配慮」を併せ持つ建築に対して評価される日本政策投資銀行の制度です。
  
まさに、「ワンランク上のビジネス空間」だということを実感させられました!




生まれ変わった北館(三宮ビル北館)



2015年11月に、三宮駅前の一等地に建設された三宮ビル北館は、神戸の中心地を飾るにふさわしいシンボリックな建物。活気ある神戸の街づくりにかなりの貢献を果たしています。
  森本倉庫がビル事業に進出したのは昭和40年。実はこの時、この地に建てられたのが、先代の「三宮ビル北館」です。このビルは平成7年の阪神淡路大震災により、全壊してしまいました。つまり、三宮ビル北館の完成は森本倉庫にとって新しい始まりであり、完全復興の象徴でもあるのです。


 森本倉庫の「三宮ビル北館」建設を追うように、JR三ノ宮駅の南側に建つ「三宮ターミナルビル」や、JR三ノ宮駅の近くの阪急神戸三宮駅では、「神戸阪急ビル東館」の建て替え工事が始められています。
 三宮は戦後商業地として発展してきました。昭和32年に神戸市役所が庁舎を構えてからは市全体の中心となりました。昭和56年にはポートアイランドと三宮を結ぶ「ポートライナー」が開通。新しい街区への玄関にもなりました。しかし、神戸を襲った震災の被害が深刻だった六甲道や新長田などの復興が急がれ、三宮はにぎわいが衰えつつありました。
 三宮界隈はどう変わっていくのか、これから目が離せません。

取材 平林 光紅
取材協力 森本倉庫株式会社




神戸を愛して約150年!森本倉庫の通関業務



「神戸開港150年記念事業のパートナー企業」である森本倉庫株式会社「みなと神戸広報応援団」が取材に行ってきました。
 神戸港の発展とともに成長してきた森本倉庫。歴史と伝統のある企業なのに、消費者の視点からはあまり知られていない。そこで今回は通関業という視点から森本倉庫にスポットを当ててみました。


1、「通関業務」とはなにか?
まず、「通関」とはなにか? 「関税法等に従って、貨物の輸出入について税関の許可・承認を受けること」である。つぎに、通関業とはなにか? 「他人の依頼により,輸出入の申告や関税の確定・納付等の通関手続,関税法などによる処分に対する不服申立等を代理・代行し,これらの通関書類を作成することを業として行うこと」のことである。
日本は、石油、鉄鋼などの資源から肉や魚介類、果物といった食料品まで、さまざまなものを海外から輸入している。海外からやってきたこれらのものを日本国内に持ち込む時、「持ち込んでいいものか」、「関税を払う必要があるのか」という判断が必要となる。これを管轄するのが「税関」である。通関業者(通関業を行う会社)や通関業者で働く通関士は輸出入者に代わって、輸出入時のさまざまな手続きを行うのだ。
 

2、「通関士」とはなにか?
輸出入されている物品の輸出入者が通関手続(税関への手続)を通関業者に依頼をした際に通関手続の代理・代行を行う専門家であり、財務省管轄の国家資格だ。  
海外旅行の際の個人用貨物などを除けば、通常は通関士ではないひとが、他人から依頼されて貨物の輸出入申告手続きをすることはできないのだ。また、通関業法の規定により、会社で通関業をするには原則として通関士の資格を持った社員が必要なのだ。
 通関業法で規定されている通関士の主な業務は、通関書類の審査と審査後の記名捺印。現在では通関業者・税関・輸出入者やその他国際貨物業務を取扱う者が参加する専用の情報システムで行うため、書類の作成や審査もほぼすべてはパソコン上で行う。その他にも、税関に対して申告内容の説明を行うことや、税関検査の立ち会いなどの仕事がある。
通関士は税理士や公認会計士のように独立開業ができない。通関士として働く会社は、通関業者や通関部門を自社に持つメーカーなどだ。





~森本倉庫で働く人たちに聞いてみた!通関業務のこと~


櫻川直樹さん(取締役総務部長) 渡海正夫さん(常務取締役営業本部長) 中川茜さん(営業部 通関士)

堀尾:では、さっそく質問させていただきます。通関業務でよく取り扱う輸入品・輸出品はなんですか?

中川:輸入品であれば、多いものは食品ですね。カルディーやプラザで取り扱っている海外のお菓子から工場に持っていったりする小麦粉など、あらゆる食品を取り扱っています。後は化学品、おもちゃ、機械、家具なんかも取り扱っています。

堀尾:ほんとにあらゆるものを取り扱っておられるんですね。

中川:はい、輸出品であると、例えば100円ショップで売られているようなものとか。
 

堀尾:私達の身近にあるようなものも取り扱われていますね。通関業務のお仕事は忙しいのでしょうか。

中川:忙しい時とそうでない時の波はありますが、基本的に休日は休みです。クリスマス、バレンタインチョコなどのシーズンや年末年始はやはり忙しいですね。

渡海:夏であれば飲料水が多くなりチョコは少なくなってくるというふうに季節も関係します。

櫻川:倉庫に貨物を預かるときも、通関業務もそうですが、季節に合った商品を輸出入することが、安定した物流に繋がるわけですね。

堀尾:女性通関士として最後にひとことお願いします。

中川:そうですね、神戸通関業会が主催する神戸女性通関士会で役員をしています。会議では女性だからと甘えるのではなく、男性と対等に仕事していくために女性同士で話し合って、それを共有して通関業全体の仕事を良くしていこう、働きやすくしてゆこうということを目標にして、今は活動しています。

堀尾:貴重なお時間をありがとうございました。


参考 
森本倉庫 社員紹介 http://www.morimoto-soko.co.jp/employ/interview/int03/
取材:堀尾 楓

2017年2月6日月曜日

黄色のバナナはどこで生まれるのか


「神戸開港150年記念事業のパートナー企業」である株式会社上組におじゃましていろいろなお話をお聞きしました。その中から、特に印象に残ったバナナについてレポートします。


 日本で売られているバナナのほとんどは輸入品。原産地から私たちの食卓に並ぶまで鮮度が保たれるのはなぜでしょうか。それは、「コールドチェーン」というものが開発されたからです。コールドチェーンとは、「低温物流」。つまり、冷凍・冷蔵によって低温を保ちつつ、生鮮食料品を生産者から消費者まで一貫して流通させるしくみのことです。

別室へ運ぶ際の通路も外気と遮断されている。

 神戸の港に荷揚げされるバナナのほとんどを取り扱っている上組は、「コールドチェーン」を構築し、バナナが生産地から運ばれて店頭に並ぶまで一定に温度を保っています。一定の温度で運ばれるため、バナナにストレスを与えることなく、新鮮な美味しい状態を長く保つことができるのです。
 生産地の港で保冷船の保冷庫に積み込まれたバナナは、13〜14℃に保たれたまま数週間かけて神戸港まで運ばれます。

 
 

 今回は、甲子園球場(約38,500㎡)以上の広さ(48,095㎡)もあるどデカい倉庫を見学させていただきました。そこに保管されているバナナを見ると、どれもこれも食べられないような青い色をしたバナナばかりがありました。
日本の法律によってバナナは、青い状態でしか輸入してはいけないと規制があるからです。輸入された青々としたバナナは室(むろ)と呼ばれる温度・湿度などが管理された熟成室で、追熟され、はじめて、おなじみの黄色いバナナに変身するのでした。


どこか外国のバナナの木にたわわに黄色いバナナが実っていて。それを収穫して船積みして運んでくるのではないのです。バナナはいろいろな手間をかけて私たちが愛する美味しいバナナに熟成する。そういう技術や設備が私たち消費者の食生活を支えているということがわかりました。

 



 最後に、「神戸開港150年を機に、これからの神戸について」お伺いしました。
 神戸港の開港と共に神戸に生まれ、上組は日本の港と共に成長してきました。
 1995年の阪神・淡路大震災の影響もあり、1980年当時、世界の港湾別コンテナ取扱量で神戸港は世界3位だったのが急落。東アジア最大のハブ港として栄えていた神戸港でしたが、震災のダメージもあって神戸港の代わりに、釜山港が日本の荷物の積み替えを行うハブ港となってしまい、今では新興国の台頭もあり、アジアのハブ港は上海やシンガポール、香港、釜山となってしましました。
 荷物が集まらないと港は繁栄しません。神戸は、港と共に繁栄してきた街ですから、
企業理念にもあるように、常に時代の風を読み、変化する社会の要請に即応しながら、一歩先のテーマに取組み、企業価値の向上と、経営の安定に努め、これからも神戸を支えられるように頑張りたいとおっしゃっていました。



上組の皆さんは多くの質問にとても詳しく、丁寧に回答してくださいました。
本当にありがとうございました。


取材協力:株式会社上組

フォトドキュメント「上組とバナナ」



 今回、取材のきっかけとなったのは、株式会社上組が、神戸開港150年記念事業パートナーで、この事業のために協賛・支援をしてくださっているからです。
 そして、私たちは「みなと神戸広報応援団 」として、神戸の魅力を発進する一員として日々活動しています。今回はその一環として取材をさせていただきました。


「三宮駅」からポートライナーに乗って「南公園駅」下車。東方向へ約10分歩くと上組物流センターに到着です!

株式会社上組と上組ポートアイランド物流センター

株式会社上組は、兵庫県神戸市中央区に本社を置く、港湾運送業・倉庫業・重量物運搬などを仕事とする大きな港にはなくてはならない港湾運送最大手の会社です。 1867年創業ですから、まさに、神戸港開港とともに誕生した会社です。神戸港からスタートした上組は今では全国の主要港湾で活躍しています。
 上組ポートアイランド物流センターは、「上組デザイン物流」のモデル施設です。バナナなどの青果物を最適の環境に保つことのできる最新鋭の空調設備を装備した燻蒸・低温倉庫に加え、チルドから常温までのきめ細やかな温度管理の必要な食糧・食品を取り扱う多機能倉庫です。


 

1903年、バナナと上組との運命の出会い

 バナナが日本に初めて輸入されたのは1903年。はじめて神戸港にやってきた台湾バナナを保管したのが上組。それ以来、上組とバナナは切っても切れない縁なのです。ということで、バナナの倉庫の紹介です。みんなでヘルメットを被って出発です!

神戸に陸揚げされるバナナの95%以上は上組  

この写真に載っているダンボールすべてがバナナです。入ったとたんバナナの甘い香りが!

バナナの倉庫の温度は13.5° 

 低すぎると「風邪ひき」と言って表皮が変色します。逆に高すぎると追熟してしまい色が変わってしまい商品になりません。バナナは13.5°という温度が大切なのです!いかに13.5°を保ちながら出荷まで鮮度を落とさないようにすることが難しいのです。バナナは温度が命!

みどりいろしたバナナ


 他の記事にも書いてありますが、輸入されるときは緑のバナナなのです。なぜ緑なのか。それには、日本にいないミバエという害虫がからんでいます。ミバエはものすごく繁殖力がありバナナをダメにしてしまいます。黄色のバナナは柔らかい、だからもしかするとミバエがそこに卵を生んでいる可能性があるのです。しかし、緑色のバナナは堅いから大丈夫。だから原産国から船積みされるバナナはすべて緑色。黄色いバナナの輸入は禁じられているのです。

倉庫も通路も低温が保たれるコールドチェーン

これも他の記事で触れられていますが、大事なところなのでもう一度。
コールドチェーンとは、入荷から出荷まで同じ温度で品質を管理する仕組みのことです。例えばバナナのように、同じ温度を保ちつつ、青果物を生産者から消費者まで一貫して流通させる仕組みです。上組ポートアイランド物流センターでは、加工センターと倉庫を繋ぐ通路もコールドチェーンの一部。室内も通路も一定の温度で保たれているのです。

バナナに付いた虫を駆除

 海外から輸入されたバナナなどの青果物を検疫し、有害な虫(先ほどのミバエなど)が見つかった場合にガス消毒をするための倉庫です。品質が徹底されています。




 見学させていただき、青果物ひとつひとつが大切に扱われていることがよく分かりました。ふだん何気なく食べているバナナですが、私たちのもとへ届くまでの輸入から出荷までの道のりが長く深いことが分かりました。また、品質管理の徹底さに驚きました。
上組ポートアイランド総合物流センターのみなさん、ありがとうございました。


株式会社 上組 ホームページ
https://www.kamigumi.co.jp/
取材協力:上組ポートアイランド総合物流センター

取材:仮谷智乃

アシックスのトライアス 

「神戸開港150年記念事業のパートナー企業」である株式会社アシックスに「みなと神戸広報応援団」がおじゃますることになり、いろいろ調べてみると、私たちの知らないアシックスのビジネスを発見しました。それがトライアスです!
株式会社アシックスHPより


Tryus(機能訓練特化型デイサービス)とはなにか

 アシックスといえば、「スポーツ用品を作っている会社」というイメージがありますが、実は、それだけではないのです。今回取り上げた「Tryus(トライアス)」は、スポーツ用品作りの中で培ってきたノウハウを活かした、要支援、要介護認定者の方々を主な対象とした、運動機能の向上・維持のための専門施設なのです。
Tryusという言葉の意味は「明日(us)に向かって私たち(us)と努力する(try)と、「us」に2つの意味を持たせた造語。「利用者の方とそのご家族、そしてスタッフとで、ともに未来に向かって努力していこう」という思いが込められています。


トライアスの5つの特徴

株式会社アシックスHPより

1.洗練された空間
 デイサービスと聞くと、どちらかといえば楽しいというイメージは浮かびません。トライアスはそのような印象を覆します。白を基調としたガラス張りの開放的な空間になっています。個人的な話で恐縮ですが、以前、足の手術をしたことがありましたが、リハビリをしたのですが、そこにはこんな雰囲気は皆無。しんどかったのを思い出しました。そういう体験からすれば、利用者の方はたぶん、リハビリやトレーニングのつらさやしんどさも和らぐのではないでしょうか。

2.1人ひとりに最適なパーソナルプログラム
 トライアスでは、利用者の方1人ひとりに合った個別プログラムでトレーニングを行っているそうです。関節可動域や注意能力などを測る体力測定の結果と、最初に設定する「なりたい自分」の目標との差をしっかりと把握しながらマシンのトレーニングの回数や時間が設定されるため、科学的で最適なムリなくムダもないトレーニング内容が設定できるのです。

3.充実のトレーニング設備
 高齢者の方もしっかりとトレーニングできるよう、小さな力でも効率的に行えるアシスト機能が備ったマシンが備えられているそうです。高齢者の方が不足してくるバランスや柔軟性を本格的に鍛える「スリング」という機械を完備しているのも特徴です。

4.さまざまなスタッフをそろえた安心のサポート体制
  充実しているのは施設や機械だけではありません。利用者のトレーニングをサポートする機能訓練指導員や介護福祉士の方はもちろん、その他にも体調管理を行う看護師、ケアマネージャーさんと連携する生活相談員の方がサポート。いろいろな人にサポートされることで気も晴れることもあると思います。

5.数値化された体力測定
 独自の開発の機器を含む高精度な設備で体力測定をするそうです。それにより、短時間かつ誤差の少ない測定結果が得ることができ最適なトレーニングプログラムを作成することができます。最適なプログラムというのはひとそれぞれ。3か月ごと体力測定を行い結果と反映しながらそのつど最適なプログラムを考える。このようなシステムなら、目標も見えやすくやる気に繋がるんでしょうね。


Tryusのこれから

 東京オリンピックが開催される2020年には、東京都の人口の25%以上が65歳以上になり、その内70歳以上が40%。また、日本の全国では2020年に65歳以上が29.1%、2030年には31.6%になると言われ、どんどん高齢化が進んでいきます。
 スポーツに関わる企業として健康に身体を動かせる「健康寿命」を伸ばすことに役立ちたいという思いから、アシックスはこのサービスを拡大していきたいという思いがあるそうです。現在は兵庫県下で5施設を運営していますが、他の地域への展開も検討していきたいとのことでした。


参考
株式会社アシックスHP
日経新聞データベース
取材 末廣 大稀

アシックス誕生秘話



株式会社アシックスHPより


「神戸開港150年記念事業のパートナー企業」である株式会社アシックスに「みなと神戸広報応援団」がおじゃましていろいろなお話をお聞きしました。そこで私は、アシックスの歴史と、アシックスが生まれた神戸について調べて見ました。

 アシックスの創業者鬼塚喜八郎さんがなぜスポーツシューズを作ろうと思ったのか…。
 鬼塚さんは1945年戦争から復員した後、約3年、兵庫県神戸市の商事会社でサラリーマンとして働いていました。しかし、戦後間も無い頃の子供たちを目にし、独立を決意しました。その頃の日本は焼け野原で、悲惨な状態でした。お金も食べるものもないこの世の中で子供たちはどうなってしまうのか…
 鬼塚さんは、これからの日本を担っていくのは今を生きている子供たちだと考え、スポーツを通じて子供たちの健全な育成に貢献したいという思いから、スポーツシューズの会社を立ち上げました。


それから鬼塚さんは当時大小さまざまなゴム靴メーカーがあった神戸・長田地区でスポーツシューズ生産の技術ノウハウを1年間習得し、1949年3月に神戸市に鬼塚商会を創業しました。
そして1977年オニツカ株式会社、株式会社ジティオ、ジェレンク株式会社の3社が対等合併し、現在の「株式会社アシックス」が誕生したのです。



「靴の街」神戸 

「神戸シューズ」HPより


 次に、鬼塚さんがスポーツシューズ生産の技術ノウハウを習得した場所、長田区の靴の歴史を紹介します。神戸市、特に長田区はよく「靴の街」と称されますが、どのような歴史があるのでしょうか。
歴史は神戸開港まで遡ります。外国人居留地を中心に、神戸に外国人が住むようになりました。
 そしてその当時、草履や下駄などを作る職人が、外国人の靴を修理し、新しく作るようになりました。それが神戸の靴の始まりです。
 靴の中でも特に有名なものが「ケミカルシューズ」です。神戸市は日本で最初にゴム工業が起こった場所であり、ケミカルシューズ産業は長田区、須磨区に集まっていました。始めは自転車用のタイヤチューブが作られ、次にゴムベルト、ホースやがてゴムの靴が作られるようになりました。ゴムの靴を作ったのも神戸が日本で初めてです。しかし戦争や不況が続き、ゴムが手に入らなくなり、ゴムメーカーはいろいろな材料を合わせ、靴を作りました。昭和21年頃苦心の末に生まれたものが「ケミカルシューズ」なのです。

参考 
アシックスの歴史
http://corp.asics.com/jp/about_asics/history
神戸教育情報ネットワーク「履き倒れ?の町」 神戸「ケミカルシューズ」
http://www2.kobe-c.ed.jp/tbm-ms/?action=common_download_main&upload_id=7665

取材協力 アシックス

                          取材 西 美佑


私も履いてる世界の「オニツカタイガー」


「神戸開港150年記念事業のパートナー企業」である株式会社アシックスに「みなと神戸広報応援団」がおじゃましていろいろなお話をお聞きしました。そして私の家族はみんなオニツカタイガーのスニーカーのファン!そう、毎日履いているのです。そこで、今回は「オニツカタイガー」について調べてみました。



 オニツカタイガーとは、1949年に鬼塚喜八郎が創業したスポーツシューズの会社のブランド名です。創業以来、バスケットボールシューズを皮切りに様々な競技のスポーツシューズを拡販していき、オリンピック日本代表のシューズなどを手がけるまでに成長しました。そのうえ、オニツカタイガーを履いた選手のオリンピックメダル獲得ラッシュもあり、世界に認められるブランドとして確固たる地位を築きます。
 その後オニツカ株式会社として上場を果たすなどしたのち、1977年に他社と経営統合し総合スポーツ用品メーカー「アシックス」が誕生しました。ここでオニツカタイガーのブランドは消滅。しかし、25年の時を経て、2002年にオニツカタイガーが復活。現在アジアを中心に海外で人気を博しています。


オニツカタイガーは海外で大人気!

 海外でも人気のオニツカタイガーですが、その理由について調べてみました。
 一つめは60~70年代のスリムでレトロなデザインです。色遣いがきれいですね。
  二つめは「オニツカタイガー」というミステリアスな名前です。
「オニツカ」は創業者の鬼塚喜八郎からとっていることが分かりますが、「タイガー」がなにから取られたものなのか疑問になり調べてみました。すると「強いから」というまさかの答えが返ってきました。
 オニツカタイガーは日本では古いブランドなだけに、不特定多数の相手に大々的に売り出すのではなく、もともとブランドを知っている消費者に売り出していたことを知り、その考え抜かれた戦略に大変驚きました。
 普段から身に着けているもの、身体を支えてくれている靴の歴史などを調べていくと、知らなかったことにたくさん出会えたり、もっとそのものに愛着が湧いたりしてとても良かったです。

取材 松井 千紘 

取材協力:株式会社アシックス




数字で読み解くアシックス

「神戸開港150年記念事業のパートナー企業」である株式会社アシックスに「みなと神戸広報応援団」がおじゃましていろいろなお話をお聞きしました。そこで今回はみんな「アシックス」は知ってるけれど、どんな会社?ということで、アシックスに関わる数字にこだわって調べてみました。

その1


これはアシックスの2015年度の売上。単位は「億円」です。
ということですが、とてつもない金額であるぐらいしか分かりません。そこで、大手スポーツ用品メーカーと比べてみました。2位のミズノに比べると倍以上。国内ではトップ。
 では世界的にはどうでしょうか。「Apparel Business Magazine」によれば、ナイキ社の売上は、3兆4,000億円(連結売上高 1米ドル=113円で換算)で、世界一を独走しているそうです。


アシックスはシューズの機能と品質を強みに業績を拡大してきました。ランナー用のランニングシューズでは国内外で高い人気を誇り、連結売上高の約8割をシューズが占めています。

その2

  これはランニングシューズ「ダイナフライト」の重量(27.0cm/片足)です。このシューズはアシックスの一般向けランニングシューズ(レーシングシューズを除く)で初めて300gを切ったという2016年秋冬ものの目玉商品です。
 ちょっと古い記事ですが、アシックスは1985年に世界で最も軽い(当時)マラソン用として100gに抑えたシューズを発売しています。タイム短縮のためにはシューズの軽量化も重要なポイントの1つになってくるそうです。


参考
【レポート】スポーツメーカー世界1位を独走「ナイキ」の財務状況を分析http://www.fashionsnap.com/the-posts/2016-04-27/nike/ 
快走アシックス、銅メダルへ布石――研究所増強、独プーマに迫る(NewsFocus)
2015/02/27 日経産業新聞
アシックス、世界最軽量のシューズ、マラソン用に開発――片足分100グラム
1985/06/03 日経産業新聞

取材:織田悠花
取材協力:株式会社アシックス




2017年2月5日日曜日

バナナ物語


 私たちは普段からよくバナナを食べていると思います。しかし「バナナって一体なに?」「どんな果物なの?」という疑問がたくさんあると思います。そこでバナナについて調べてみることにしました。

バナナって一体どんな果物?
まずそもそもバナナとはどんな果物なのでしょうか?
バナナとは、果実を食用とする品種群のバショウ科バショウ属という分類で、また、その果実のことを言います。いくつかの原種から育種された多年草で、種によっては熟すまでは毒を持つものもあるようです。日本では古くからバナナのことを芭蕉と呼び、実を食するものは実芭蕉と呼んでいます。バナナは栄養が豊富でかつ1年を通して手頃な価格で食べられるとても優れた果物です。ここで少し豆知識です。先ほど芭蕉というワードが出てきましたが、松尾芭蕉という人物がいますよね。松尾芭蕉は、芭蕉の木をもらって庭に植えたことから「芭蕉」とつけられたと言われています。

バナナはどこで栽培されているの?
バナナがどんな果物か分かったところで、バナナの栽培地域はどうなっているのでしょうか?
原産地は熱帯アジア、マレーシアなど。バナナの栽培の歴史はパプアニューギニアから始まったと考えられています。アジアやラテンアメリカの熱帯域では大規模に栽培されていて、東アフリカや中央アフリカでは小規模ではありますが広範囲で栽培が行われています。また地域によって、花は料理に使ったり、葉は皿代わりにしたり、包んで蒸すための材料や屋根の材料などとして利用しています。日本国内でも南九州・沖縄県を中心にバナナが栽培されています。

バナナは何種類あるの?
そんな世界中で栽培されているバナナですが、一体バナナは何種類あるのでしょうか?
バナナの種類は、生食用と料理用に分かれていて、合わせて300種類以上あると言われています。すべては紹介しきれないので、今回は5つ紹介したいと思います。
~キャベンディッシュ~
日本のスーパー等で一般に売られている品種です。フィリピンから輸入されているのでフィリピンバナナとも呼ばれています世界で生産されるバナナのほぼ半数を占めています。
太さを保ちつつ長さもある大型のバナナで、デザート用に栽培されています。
~台湾バナナ~
台湾バナナは昭和初期から中期にかけて高級品として重宝されました。フィリピンバナナに比べると果実が短めでやや太く、果肉は緻密でねっとりとした舌触りとなっています。台湾産は流通量が全体の1%程度しかないので、価格は少し高めです。
~レッドバナナ~
果皮の色が赤茶色っぽくなるのが特徴です。果肉は普通のバナナと同じように黄白色をしていて、さっぱりとした甘さがあります。おもな輸入先はフィリピンやエクアドルです。
~モンキーバナナ~
長さが7~9cmほどの小さくてかわいいバナナです。皮は薄く、果肉はやわらかくて濃厚な甘味を持っていて、デザート用として人気が高い品種です。おもにフィリピンから輸入しています。
~島バナナ~
沖縄で一般的なバナナで、家庭の庭などによく植えられています。木成りで熟してから収穫できるので、輸入バナナより島バナナの方が甘みも酸味も強くておいしく、沖縄での価格も輸入物の何倍もします。形は太短く、皮がうすいので熟してくると皮が裂けてきたりします。

バナナがたくさん購入されているのはこの時期だ!
バナナについて少し分かってきたところで、バナナはいつの時期が一番多く購入されているか気になりました。バナナがたくさん購入されているのは一体何月なのでしょうか?
バナナは季節に関係なく一年中栽培、収穫できるため、とくに旬というものはありません。言い換えれば、いつでも旬ということができるということです。寒くもなく暑くもない時期が、最もバナナが食べたくなると言われています。そのような点から5月頃が最も多いのではないかと言われています。 5月頃という理由として、比較的他の果物が少ない時期であること、運動会シーズンであることなどが挙げられます。

バナナにはこんなにも栄養がある!
また、バナナには数えきれないほどの栄養分が含まれています。タンパク質、カロチン、食物繊維、カリウム、マグネシウムなどを豊富に含んでいます。特にビタミンAの含有量は、果物の中でトップクラスです。このように栄養分がたくさん含まれていることで、昔から、単に食用としてだけでなく、薬用としても効果が知られていたようです。便秘改善、高血圧予防、動脈硬化予防、心筋梗塞予防、脳梗塞予防、糖尿病予防、がん予防など、多くの効能があります。

大ブームになったバナナダイエット
バナナに含まれる栄養分を知り、バナナにはたくさんの栄養分が含まれており体にも良い食べ物だということが分かりました。以前、朝バナナダイエットがブームになったと思います。栄養分が多いバナナを使ってのダイエットにはメリットがたくさんありますが、その反面デメリットもあります。メリットとデメリットそれぞれどんなことがあるのでしょうか?
まずメリットは腹持ちがよく空腹を感じにくいというところ、酵素の働きで脂肪燃焼を高め、むくみの解消がダイエットに繋がるところ、豊富な食物繊維で便秘を解消してくれるところから体質改善が期待出来る点です。
デメリットはバナナにはカリウムが豊富に含まれているため、腎臓病のある人には、過剰な摂取をオススメできないこと、また食べ過ぎると免疫力の低下や尿路結石、発がん率が上がる可能性がある点です。
バナナは栄養が豊富で、エネルギー補給として最適ですが、バナナだけを食べることはもちろん控えることと、昼食や夕食ではバランスの良い食事をとるよう心掛けることが大切です。

最後に
最初はバナナの知識はあまりなかったが、知っていくうちに種類の多さだったり、海外からの輸入だけでなく日本でもバナナは生産されていたり、バナナに含まれてる栄養分が豊富すぎたりとバナナだけで驚くことがたくさんありました。これからのバナナの食べ方が変わっていくような気がします。


参考 
~インターネット~
・Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%8A%E3%83%8A
・バナナはスミフル http://www.sumifru.co.jp/
・果物情報サイト 果物ナビ http://www.kudamononavi.com/
・免疫力を高める 健康食べ物・栄養食品効果効能ナビ http://kenkou-tabemono.info/
~書籍~
・「朝バナナダイエット」 著者:はまち。 出版社:株式会社ぶんか社
・「もっと朝バナナダイエット」 著者:はまち。 出版社:株式会社ぶんか社
取材:田底愛菜


田底


2017年1月26日木曜日

バナナ最高!


いつもお世話になっているのに、よく考えてみればなにも知らないバナナ。
そんなバナナ!ということで、調べてみました。
さぁさ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!




バナナはいつ日本にやって来た!?

地球でバナナが栽培されるようになったのは、紀元前5000年ごろ、パプアニューギニアあたりと言われています。2002年の現地調査で、バナナが存在していたと裏付ける痕跡が発見されました。また、東南アジアでも初期栽培が行われていたことを示す証拠が見つかっています。紀元前5000年といえば、古代エジプトが栄えていた頃。エジプトの王様は生のバナナはムリにしても干しバナナぐらい食べていたかもしれませんね。しかし、そう考えると、生のバナナをむしゃむしゃ食べることができる現代人って、確実にエジプトの王様以上の暮らしをしていますね、きっと。
 時は下って16世紀、沖縄でバナナが栽培されるようになったということです。


昔は、貴重すぎて病気した時しか食べられなかった

バナナが日本に初めて輸入されたのは1903年。台湾から神戸港にやってきた台湾バナナを保管したのが株式会社上組。以来、神戸港から荷揚げされるバナナの輸入取り扱いは上組が請け負うようになりました。
 戦時中、台湾バナナは米の生産を優先するために減少し、日本の果物屋さんから姿を消してしまいます。しかし、1950年に日本と台湾で通商協定が結ばれ、バナナは再び輸入されるようになりました。当時のバナナは1kg1000円と超高級食品でした。先生によれば、当時、バナナは病気で寝込んだ時にしか食べることができなかったそうです。
 その後、1961年に輸入船の船員からコレラ菌が検出され、一時、台湾のバナナは輸入禁止になるという災難も乗り越えて、1963年に日本政府がバナナの輸入を自由化し、バナナは一般化していきました。
 現在、日本でもバナナの栽培は行われていますがほとんどが輸入されています。2005年の輸入先を見ると、フィリピンが88.5%・エクアドルが8.5%・台湾が1.4%となっています。 

朝バナナ?夜バナナ?

朝食にバナナを1本か2本食べ、水を飲むことでバナナに含まれる豊富な酵素作用により、体内に溜め込んだ毒素をかき集め排出されるダイエット方法をバナナダイエットと言います。また、昼食と夕食は通常通り食べてよいという非常に簡単なので2008年にブームになり、果物屋さんやスーパーの店頭からバナナが消えたそうです(売れすぎて)。
 このダイエットブームはいくつかの理由ですぐに終わりを迎えてしまいます。理由の一つ目は、生バナナを食べなければいけないことです。焼きバナナや冷凍バナナは酵素が壊れてしまうため食べても意味がありません。二つ目は、カフェインと一緒に摂取してはいけないことです。カフェインは、ビタミンやミネラルを壊し、酵素の働きを低下させてしまいます。3つ目は、アレンジができないためバナナの味に飽きてしまいました。その結果、バナナダイエットブームはわずか数ヶ月で終わってしまいました。

 最近、バナナダイエットが再び注目されています。今度は夜にバナナを食べる方法です。夕食の約30分前にバナナ2本を食べてその後にお湯や緑茶を飲むというダイエット方法です(※夕食は普通に食べる。ただし、満腹に感じたところで止める)。バナナはカロリーが低い一方で、満腹感の得やすい食べ物で、ダイエットをサポートする栄養素も多く含まれているため、注目されています。このダイエット方法のポイントは「夜」であると言われています。

 中程度のバナナは、皮をむくと約100グラム。86カロリーで食物繊維も1.1グラムと比較的豊富です。昼に菓子パンを1個食べるなら、バナナ4本のほうが同じカロリーでも脂肪が少なく身体にはいいそうです。

昔バナナ・今バナナ

バナナの歴史を調べていくうちに現在と昔のバナナでは品種が違うことが分かりました。1960年代以前に食べられていたバナナは、グロ・ミシェルという種類のバナナでした。特徴は今よりももっと大きくて、甘く、皮が厚めであったと言われています。たいへん普及したグロ・ミシェルですが、パナマ病という殺菌剤が効かない病原菌に襲われ絶滅してしまいました。そして、現在では一般となっているバナナ、キャベンディッシュに総入れ替えが行われました。キャベンディッシュは種なしで茎を株分けして栽培することが唯一の生産方法です。また、キャベンディッシュはパナマ病にも強いと言われています。しかし、最近キャベンディッシュを襲う新型のパナマ病が現れました。殺菌をすることでパナマを死滅させることは可能です。しかし、欧米では消費されるキャベンディッシュは影響を受けやすく、広がりつつあります。このことから、科学者のなかにはキャベンディッシュが絶滅してしまうのではないかと心配する声もあるそうです。

バナナの食べごろ

見た目がきれいなバナナがおいしいと思っているひとが多いですが、いちばんおいしいのは付け根まで黄色になり、茶色い斑点がポツポツ全体に出たころが熟れて甘みが加わるからいちばんおいしい。またバナナは呼吸しているので、袋から出して冬なら新聞紙にくるんで発泡スチロールの箱に、夏は涼しい場所で保管するといいそうです。一度低温にさらされると甘みがのらなくなるので決して冷蔵庫に入れてはいけなそうです。
 

参考
バナナ大学
http://www.banana.co.jp/
「バナナの世界史」著者:ダン・コッペル 訳者:黒川由美 組版:アーティザンカンパニー株式会社
「バナナ入門」著作者:中村武久 出版社:丸善ライブラリー021
「バナナと日本人」著者:鶴見良行 出版社:岩波新書(黄版)199
「元気のひけつ 冷蔵庫での保存は厳禁 バナナの食べ頃と保存法 朝日新聞2011年2月19日 朝刊 

取材:森下 駿

2017年1月25日水曜日

振り返れば、いつもそこに「六甲山」my love.


神戸っ子をいつも見守ってくれている六甲山。春になると新緑が、そして秋になると紅葉が季節の移り変わりを告げる六甲山。夏、山頂に登るとひんやり涼しい六甲山。そして今、見上げると六甲山。きがつけばいつもそこに六甲山。

六甲山とは

六甲山は神戸市の市街地の西から北にかけて位置する山である。一般に六甲山は大小の山を含む六甲山系全域を指していて、最高峰は特に六甲山最高峰と称されている。
六甲山系の摩耶山「掬星台(きくせいだい)」から眺めるパノラマ夜景は日本三大夜景に数えられ、夜空の星はもちろんのこと、眼下に広がる神戸の街が宝石箱をひっくり返したように美しく輝き、見事な神戸1000万ドルの夜景を見ることができる。掬星台は標高約700mにあり、同じく日本三大夜景の函館山(334m)、稲佐山(333m)よりも高度があり、神戸市内のみならず、大阪や関西国際空港、西は明石方面まで一望できる。六甲山系ではもちろん、関西でも屈指の美しいパノラマ夜景だ。
 摩耶山という名は、弘法大師が釈迦の生母・摩耶夫人の像を祭ったことから付いたそうだ。また、掬星台という名の由来は、先人が満天の星空があまりにも美しく、「手を伸ばせば星が掬(すく)えるようだ」 と言ったところから来ている。

六甲山系の自然とその魅力

大阪湾に沿って、帯状に延びる神戸の街。その後に屏風を立てたように連なる六甲の山並み。阪神間の人にとって六甲は、手軽に登れるである。季節の移り変わりもよく分かる場所である。車窓からも、ビルの間からも、どこからでも間近に眺めることのできる山でもある。人々は「ろっこさん」と親しみを込めて呼んでいて、日々の生活や心の中に、いつも大きなウエイトを占めている。身近で親しみのある山だが、地形や地質、気象、植生などを見ると意外と特異な山であることが分かる。

六甲山の成り立ち

六甲連山は、東は武庫川西岸の宝塚から、西は須磨の鉢伏山の急斜面で瀬戸内海へ陥没するまでの長さ約30キロの山塊だ。山頂付近は厳しい風化で準平原化し標高は東が高く、西へ行くにつれて低くなっている。基盤は中生代末期に地下深くに作られた花崗岩で、200万年前の第4紀初期からはじまった六甲変動という地殻変動によって衝きあげられたものである。
1995年1月17日、兵庫県南部地震が発生し、阪神、淡路を中心に大きな被害がもたらされ、たくさんの命が奪われたことは記憶に新しいことだ。この地震で六甲山地でも多くの断層が動いて、各地で山崩れなどによる、地形の変化が起きた。このような大地震によって、断層の衝きあげの繰り返しでたかくなったといわれ、今回の地震では12センチ高くなった。このとき、北側で丸山衝上断層(国の天然記念物)、南側で芦屋などの衝上断層を作り、何度も大きな力で衝き上げられて、いまの六甲山が形成されたと考えられている。

登るための六甲山

六甲の山々が育てた「毎日登山」は神戸の誇りだ。ある日の朝7時過ぎ、神戸の市街地から六甲・再度山に通じる大師道を歩く。年配の男や女が大勢ゆるやかな坂道を下ってくるのに出会う。若い人は少なく、黙々と歩く人、楽しそうにおしゃべりをしながら、歩く人たちもいる。男女ともにリュックを背負って、山靴を履いている人は少ない。いわゆる山歩きのいでたちではないが、大師道をこの時間に下っているひとたちは、ほとんどが神戸名物の「毎日登山」の愛好者たちにちがいない。稲荷茶屋と燈籠茶屋も神戸らしい雰囲気で愛好者たちからも人気である。
 我が国へ「近代スポーツとしての登山」を伝えたのも、開港後、神戸へやってきた外国人である。なかでも、明治21年に神戸の英国教会の牧師として来日したW・ウェストンは、当時日本人自身にすら広く知られていなかった中部山岳地帯の山々を登り、その著書で「日本アルプス」を世界に紹介するなど、近代登山の普及に努めた。明治38年には、ウェストンの勧めで日本山岳会が結成され、神戸でも日本山岳会員の塚本永蕙達によって、明治43年、神戸草珪会が創立された。このような発展があって、今も多くの登山客がいることが分かる。



参考
ヤマケイ関西vol.1,2001 ハイキングのメッカ、近代登山発祥の地 六甲山
阪神間モダニズム 六甲山麓に花開いた文化、明治末期―昭和15年の軌跡
取材:安武郁哉

2017年1月24日火曜日

KIITOの建物は神戸のレガシー


みなさんは、KIITOを知っていますか?
デザイン・クリエイティブセンター神戸のことです。「みんながクリエイティブになる。そんな時代の中心になる」とか「ひと、まち、せかいの、センターになる」と、ワクワクドキドキ感満載の、よくわからない、けど、楽しい!みたいなところです。今日は、そのKIITOの建物についてレポートします。


 
館内にはいろいろな展示があってたのしい!

モダン神戸を象徴する歴史的建造物があちこちに

KIITOができたのは2012年8月からと、つい最近の話ですが、この建物はなんと、1927年に、神戸市立生糸検査所として作られました。
1927年に輸出生糸の検査を行う施設として建設され、1932年にこの建物のとなりに建設された同検査所新館と合わせて戦前期日本の近代建築として、また近代神戸の発展を象徴して、建築史上高い価値を得ています。この界隈にはこの建物だけでなく、神戸税関や、三菱倉庫、三井倉庫、川西倉庫などの建造物とともに、昭和初期に国際貿易港として躍進した神戸港の近代化遺産が並び立つ、地味ながらもとってもレガシーな場所。またこのエリアは近代神戸発祥の地と言える旧居留地地区に隣接していて、神戸市民にとっても、神戸を訪れる観光客にとっても、神戸の歴史が肌で感じられる場所です。

明治時代の日本の先端産業「生糸」

ところで、KIITOというネーミングの元にもなっている「生糸」。「生糸検査所?」ナニそれ??ですが、いったいなんなんでしょう。
 自動車や家電製品、マンガにポケモンと、今日、多少の陰りはあるけれども、世界に冠たるものづくり大国として立派に成長した日本ですが、それはここ2〜30年前からのハナシ。世界に向けて国を開いた(いや開かされた)ものの、なんとか西欧列強と肩を並べるべく必死だったニッポン。海外からやってくる上等舶来ものにうっとりびっくりするばっか。海外に向けて「どんなもんだい!」と胸を張れる製品はさほど多くはありませんでした。そう、そこで生糸が登場です。「ニッポンの絹糸はどうやらよろしおまっせ」そんな噂が海外から偏西風に乗ってやってきた。そこで、時の政府は生糸を最重要輸出産物と位置づけ、品質向上を目指したのです。そして、横浜と神戸に生糸検査所が置かれ、1905年にはイタリアを、1909年には中国のそれを上回り、世界最大の生糸輸出国としての地位を確立しました!だから、20世紀しょっぱなのニッポンにとって、生糸の製造やら輸出やらは先端産業だった。
 生糸の輸出は当初ほとんどが横浜港経由でしたが、大正期に入ると関西生糸市場が盛んになり、さらに1923年の関東大震災により横浜港の機能が麻痺状態になったため、神戸における生糸取引、輸出業務に対する期待が高まり、全国の製糸業者は生糸検査所の設置を神戸市に要請。神戸市立生糸検査所が誕生したのです。





蚕の頭部がテラコッタ!?ナンテコッタ!

神戸市立生糸検査所は、鉄筋コンクリート造地上4階地下1階建てで、神戸港における生糸の輸出量と将来の増加を考慮して建築面積は2369平方メートルと、けっこう大きな建物です。オフィスビルとしての機能性を保持しながら、外観が単調に流れることのないよう、ファサード(主要立面)をゴシック調(12~15世紀の西ヨーロッパの建築)にまとめ上げたものといえます。すなわち、ファサードの9つの柱間をすべて連続する腰高の窓とし、その窓面を壁面から後退させずにほぼ同一とすることで採光を確保しています。この壁面に太さの異なる2種のマリオン(細い方立て)をリズミカルに付加することでゴシック調の雰囲気をまとわせ、さらに中央玄関の両端で4層を貫いてさらに上方に伸びる八角形断面の柱とし、尖頭アーチやテラコッタ(焼き物)装飾を組み合わせるなど、装飾的要素を玄関周辺に集中させることで建物に格式を与え、全体を垂直線を強調する特徴をもつチューダー・ゴシック様式(イギリスの国会議事堂など)でまとめられています…。と、よくわかりませんが、とにかく、おしゃれっ!昨日今日できた建物など、この建物に比べると小便小僧みたいなもんです。
 このテラコッタ(焼き物)装飾は、魔除けではありません。黄金の生糸を吐き出す蚕の頭部を模していると伝えられています。この建物にゴシック様式が採用されたのは、神戸の玄関口たる神戸港の施設としての、加えて日本の輸出額の首座を誇る生糸の高品質を保証する機関の施設としての威厳を与えようとする意図があったらしい。神戸税関と対面する場所にこの検査所が建ったことで木造平屋の港湾倉庫が並ぶ中に新築庁舎が対峙するという、新港地区にふさわしい壮観を呈することになりました。
 ちなみに、旧神戸市立生糸検査所の新築が企図された大正末期の日本の建築界では、ゼツェシオン(分離派)と呼ばれる19 世紀末のドイツ、オーストリアに発する様式が流行していました。対面する神戸税関には、この要素が強いです。

ホンモノの神戸を知るオシャレさんは倉庫街をうろつく

神戸市が行った神戸のイメージ調査によると、「港」が最も高く、次いで「異国情緒」、「おしゃれなファッション」「六甲の山と緑」と続きます。「ミナト・コウベ」のイメージは今でも健在であるのにそのイメージを支える実際の景観は今やほとんど失われようとしています。唯一残っているのがこの新港地区なのです。そしてこの新港地区を歴史的価値の高い場所として支えているのが、旧神戸市立生糸検査所・旧神戸市立生糸検査所新館(両方合わせて今のKIITO)と神戸市税関の建築です。三宮からフラワーロードをずんずん下ったところにあるKIITO。おしゃれなカフェもあるので、ぜひ行ってみよう!



生糸に関する展示も
会議室ではみんなで服を作ってる?
KIITOで実施したいろいろなプロジェクトを説明してもらった



参考 https://www.aij.or.jp/scripts/request/document/20090217.pdf
取材:藤本 崇司



2017年1月12日木曜日